愛情から生み出される作品には、どれもかわいさと面白さが溢れ、手に取るものの心を魅了して止まない。
TOP > 作り手と出会うTOP >金属工芸|青木 有理子: 青木 有理子さん
富山県黒部で生まれた青木さんは、転勤族の父を持ち、3歳で地元を離れ小学校4年生まで新潟に移り住んだ。その後、富山に戻り高校時代まで過ごす。卒業後、秋田公立美術短期大学へ進学した後、富山に戻り農協(JAbank)の支店と本店に3年間勤務。「OLもやってみたかったんですよ(笑)」と若い女性らしさを見せながらも、常に興味を持ち続ける青春時代を過ごした青木さんだが、幼少期は、「恵まれない国の人たちのために何かお手伝いしたかった」という気持ちから生まれた夢を持っていたのだったが、その目標は成就しなかった。ただ、その後の進路を、美術の先生をしていた叔父さんに相談したところ勧められたのが秋田の美短。そこで現在の青木さんの「作り手」への足がかりになる作品が生まれる。
|
||
![]() |
||
|
秋田の美短時代に様々な作品制作をしていた青木さんだが、鋳物で作っていた作品を、「その作品は金属でつくる意味あるの?」と先生から理解を得られなかったこともあったという。悔しさの中でも、金属への想いから、鋳物にこだわり続ける中で生まれたのが、卒業制作の「はりねずみ」。わらを使った消失技法と鋳物の技術を融合してできた作品だった。その作品を、高岡クラフトコンペに出品したところ高岡市の全国的に活躍している鋳物メーカー株式会社能作、能作社長の目に止まり、商品化されることになる。今の作風が生まれた瞬間だった。
|
|
![]() |
||
美短専攻科を修了し、OL生活の後は、金沢市が運営する卯辰山工芸工房に所属し創作活動に没頭する。この工房には講師が存在せず、市の助成を受けながら自身の技術を磨く場。青木さんは、鍛金(たんきん)技術を習得したかったという。鍛金(たんきん)とは金属を金床や烏口などにあて金槌で打つことで形を変えていく技法。指導者もいない中、鍛金の基礎を学んだ青木さん。目標を設定し実現する行動力は、「モノづくりへの情熱」を感じさせる。 |
||
![]() |
||
その後、高岡市に移り住んだ青木さんは様々な人が 集まり、坩堝(るつぼ)の中で混ざり合い、高岡という土地で新しいものを生み出すという想いを持つ「金屋町金属工芸工房かんか」という工房を、仲間とともに立ち上げる。かんか時代に、市内でも徐々に仕事をもらえるようになると、自分だけの工房を立ち上げて創作したいという気持ちが大きくなり、1年半ほどでついに独立。作り手「青木有理子」としての作品づくりをスタートする。当初は、自分の作品を制作販売しつつも、図面をもとに制作する下請け仕事などで、お皿やアクセサリーを制作していた。 現在は営業活動など精力的にこなしながら、大好きな金属で作品を生み出す毎日だという。
|
||
![]() |
||
もともと美術家としての思考はなかったという青木さん。お客様にとっても分かりやすい「生き物」をモチーフに、生活に使えて面白く、持ってても使えるが、見てるだけでも楽しくなる作品を目指しているという。「金属の良さも伝えられたらうれしい」というコメントからも金属への愛が感じられる。「私の作品は完成されたものと言うよりは、使い手の想いや歴史が積み上がって一緒に完成するものと思っています。」という青木さんのことばに、昔、幼少期に抱いた夢の「人に対するお手伝いがしたい」という想いのつながりを感じた。 |
作り手一覧
このサイトはグローバルサインにより認証されています。SSL対応ページからの情報送信は暗号化により保護されます。 |
Copyright (C) 2011-2019 Nipponism.jp, All rights reserved.